帝國博物学協会
下総國
高田城
 所在地 千葉県柏市高田字殿内
 交通機関 JR常磐線 柏駅下車 バス熊野神社下車 徒歩5分
 別  名 高田塁・高田館
 略  歴 高田城はいつ頃築かれたか不明だが、匝瑳氏の居館として築かれたと考えられている。
匝瑳氏と高田の関係は、応永17(1410)年8月10日付の「香取社造営料足内納帳写」に「匝瑳次郎左衛門殿分 高田田数六丁」と見え、応永の頃には高田の地を治めていたようである。
「本土寺過去帳」によると、匝瑳新兵衛妙新・同帯刀妙刀・同二郎左ヱ門妙衛が康正2(1456)年正月の市河合戦に上杉方の千葉自胤、実胤に属して戦い討死したとある。
文明10(1478)年12月の境根原合戦では高田の匝瑳勘解由妙勘と家臣野嶋氏・今泉氏が討死している。
高田匝瑳氏は武蔵に逃れて江戸城の太田氏を頼って石浜城を千葉自胤に従ったと見られている。
大永4(1524)年、小田原北条氏が江戸城を攻略すると、武蔵千葉氏と共に高田匝瑳氏も北条氏に従ったと見られる。
 現  況 高田城は熊野神社付近といわれているが、明確な遺構は残されていない。
一部には土塁などが残されているとも言われるが、この付近は野馬除け土手が多く存在しており、城郭遺構か判別するのは難しい。
なお、熊野神社横を台地下に下りる道路が堀切であったようにも見える。

熊野神社

熊野神社拝殿

熊野神社境内

熊野神社東側
の竹薮(民家裏)

熊野神社東側
の竹薮(民家裏)

堀切か?
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