帝國博物学協会
下総國
芝原城
 所在地 千葉県我孫子市中峠字外谷津台
 交通機関 JR成田線 湖北駅下車 徒歩20分
 別  名 柴原城・中峠城・取手城
 略  歴 平将門の創築とも言われるが、土豪の柴原氏が居城したとも言われており、創築についての詳しい事はわかっていない。
その後、相馬氏の家臣、荒木三河守胤重が居城としたと伝わる。
戦国期に入ると、古河公方に属した河村氏一族が居城しており、天正10(1582)年には、小田原北条氏に仕えた。
天正18(1590)年、豊臣秀吉の小田原北条氏の征伐の際に、下総方面の攻略は浅野長政らが担当しており、芝原城も開城、降伏したと考えられる。
この戦いの後、芝原城は廃城となったと考えられる。
 現  況 芝原城址は、旧利根川に面した舌状台地に築かれた城であるが、現在では大半が「自然観察の森」となっている一方、主郭部や ニ曲輪・三曲輪の南側が住宅地として開発されて失われている。
主郭の土塁や空掘は、比較的良好に残されており、「自然観察の森」内の二曲輪・三曲輪の空掘も良く残されている。
設置されている縄張り図では三曲輪構成であるが、見た感じはその東側にもう1つ曲輪があったように見えるので、四曲輪構成とした。
主郭西端には、独立した土壇の上に社があるが、これが往時の櫓台なのかはよくわからない。
四曲輪

東側切岸

土塁と切岸

土塁

土塁

四曲輪
三曲輪

土塁

土塁と空堀

土塁と空堀

空堀

三曲輪

北側土塁上

北側土塁上

北側土塁上

北側土塁
二曲輪

城址案内板

北東空掘

東側空堀

自然観察の森

北側土塁

東側空堀

東側空堀

東側空堀
一曲輪

東側空掘

虎口状の土塁

東側空掘

東側空掘

東側土塁と空掘

東側土塁と空掘

一曲輪

西端の櫓台?

櫓台下の藪

一曲輪西側
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