帝國博物学協会
下総國
根戸城
 所在地 千葉県我孫子市根戸
 交通機関 JR常磐線 北柏駅下車 徒歩15分
 別  名 -
 略  歴 根戸城の創築に付いては2つの異なった説があり、現在どちらが正しいかは不明である。
一つは、鎌倉時代の正応3(1290)年に、相馬胤村の三男胤光が創築して城主となり、根戸氏を称していたという説、 一つは、室町末期の文明10(1478)年に、酒井根村で千葉孝胤の軍勢を破った太田道灌が、根戸城を陣城として築城したという説である。
戦国期には、この地方は北条氏の支配下に組み込まれ、匝瑳氏または高城氏が城を守備していたと考えられる。
この城が廃城になった時期は不明だが、北条氏の滅亡した天正18(1590)年と考えるのが妥当であろう。
 現  況 根戸城は、手賀沼を望む台地上に築城されており、台地先端東側に主郭を置き、その西側に二郭を置く、複郭の連郭式城郭である。
城址案内板は県道沿い、根戸城櫓台直下に設置されている。
県道の拡幅に伴って櫓台が失われてしまうところであったが、台地下側をくり貫くという方法で、上の史跡を保存したという方法は、非常に素晴らしい決断であったと思う。
縄張り図では、二郭となっているが、その西方、金塚古墳がある平場も城址に含まれるような気がするがいかがなものであろう。
主郭・二郭とも土塁・空掘が良好に残されており、特に主郭の土塁・虎口は見ごたえがある。
主郭の東側の櫓台と呼ばれる部分と主郭は、木橋で渡されていたと考えられている。
また、南側には腰郭が設けられており、主郭南側の虎口からこの腰郭を通って台地下へ抜ける道があり、これが搦手であったと考えられる。
遠望〜二郭西側

根戸城遠望

根戸城跡案内板

北東側水濠跡

北東側水濠跡

城址入口

登城口からの
道(堀切のよう)

堀状の通路

ニ郭西側

ニ郭西側

ニ郭西側

ニ郭西側

金塚古墳
ニ郭

ニ郭西南側横矢
土塁と空掘

ニ郭西南側横矢
土塁と空掘

ニ郭西側土塁
と空掘

ニ郭西南端
土塁と空掘

ニ郭北側空掘

ニ郭郭内

ニ郭南西角

ニ郭虎口

ニ郭北側

ニ郭西土塁上

ニ郭と主郭
土塁

ニ郭北側

ニ郭南側
櫓台

主郭北空掘と
櫓台

櫓台北側と
落し穴状遺構

主郭東空掘と
櫓台

櫓台南側

櫓台上

櫓台上

櫓台上

櫓台より手賀沼
を望む

主郭より見た
櫓台
腰郭

主郭搦手虎口と
腰郭への通路

腰郭西側

腰郭東側
主郭

主郭土橋

主郭土橋より
見た北側空掘

横矢

主郭西側空掘

主郭北側空堀

主郭北東側空堀

櫓台より見た
主郭東側

主郭北側の
二重土塁

主郭北側の
二重土塁

主郭大手虎口

主郭大手虎口
と西南側土塁

主郭南西側土塁

主郭南側土塁
と搦手口

主郭南側土塁

主郭東側土塁

主郭北側土塁

主郭北側土塁上

主郭北西側
土塁上

主郭内と祠

主郭北半

主郭全景
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