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所在地 | 千葉県柏市松ヶ崎字腰巻 |
交通機関 | JR常磐線 北柏駅下車 徒歩10分 | 別 名 | - |
略 歴 |
松ヶ崎城はいつ頃誰によって築かれたか明確にわかってはいないが、在地領主の居館として築かれたと考えられている。 応永の頃には高田城を中心として大堀川流域に勢力を広げていた匝瑳氏かその一族・家臣が城主であった可能性が高いとされる。 戦国の頃になり、この地方に勢力を広げたのは、小金城の高城氏であった。 しかしながら、松ヶ崎城に拠っていたのが高城氏なのかそれとも、引き続き匝瑳氏が拠っていたのかは不明である。 最終的にこの城が廃城となったのは、豊臣秀吉の小田原の陣によって、北条氏が滅亡した時であろう。 |
現 況 |
松ヶ崎城は北柏駅から程近い丘陵上に存在している。 城址碑などは特にないが、手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会が立てた松ヶ崎城の破壊に抗議を訴える看板が目印である。 城址は台地全体に広がっていたようであるが、既に北側の腰曲輪が取り付け道路のために破壊されている。 主郭の土塁・空掘、物見台と見られる古墳などが良く残されている。また、南側の二曲輪の土塁や空掘、食違虎口の状況も良好である。 南から南東にかけて腰曲輪が見られ、ここには水の手であった松ヶ崎湧水があり、水量は少なくなったようであるが現在でも水が湧き出している。 2008年5月30日付けの東京新聞千葉中央版には、市指定史跡である松ヶ崎城の地主が、農地にするという事で、貴重な史蹟を破壊するという記事が掲載されている。 土地は地主の方のものであるが、遺跡はその土地に住む人皆のものであるということを、地主の方にも是非ご理解いただき、松ヶ崎城址の保存にご尽力を賜りたいと願わずにはいられない。 昭和30年代からの高度経済成長期、バブル真っ盛りの時期に、多くの遺跡が失われました。 我々はこの時期の過ちを反省し、同じ過ちを二度と繰り返してはならないと考えると共に、貴重な遺跡を後世の人に残す義務を負っていると考えます。 一度破壊され失われた遺跡は二度と戻ってこないという事を肝に銘じて、地主の方・柏市双方が話し合って善処いただくよう、強く望むものであります。 また、手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会の皆様に強くエールを送るものであります。 なお、この縄張り図は手賀沼と松ヶ崎城の歴史を考える会のご好意により転載させていただきました。 |
腰曲輪 |
二郭東側切岸 と腰曲輪 |
二郭東側切岸 と腰曲輪 |
腰曲輪 |
腰曲輪 |
三郡境の不動様 |
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参道の階段 |
松ヶ崎湧水 |
参道の階段 |
松ヶ崎城跡 案内板 |
参道階段 |
二郭 |
南西側土塁 |
南西側土塁 |
南虎口 |
南側土塁 |
南側土塁 |
南側土塁上 |
南虎口(内側) |
櫓台(古墳) |
櫓台西面 |
西虎口脇土塁 |
南側土塁 |
櫓台北面 |
主郭 |
北側空掘と土塁 |
北側土塁 |
北東角土塁 |
北・西側土塁 (郭内) |
北西角櫓台 |
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東側土塁 |
西側土塁と空掘 |
東側土塁 |
北側土塁と空掘 |
北西櫓台 |
西側土塁と空掘 |
西食違虎口と 土橋 |
松ヶ崎城遠望 |
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